| Home |
ドン
部屋の隅で鈍い、何かが床に落ちたような音がした。
その音は、トイレで用を足していた隆の耳に入るほどだった。
あまりの大きすぎる音に、隆はそのままの姿で慌てふためきながら飛び出した。
「なんだぁ?」
部屋をのぞいては見たものの、先ほどの音が嘘だったかのように、部屋の中は静寂であった。
もちろん、そこには動くものなど、一つ見えない。
窓も開いていないし、ドアも開いていない。窓から入り込む赤い光さえもそのままであった。
その景色は、時計の針が少し進んだだけで、なんら変わってはいない。
何もないのかよ。隆は思った。いや、そう願っていた。
さっさと用を足してしまおう、振り向いて、再びトイレに入ろうとしたときだった。
ドン
さっきと同じ大きな音が、ちょうど斜め下のフローリングのほうから聞こえた。
そこは隆の視界に入っており、もちろん、何も異変は見えなかった。
そしてさっきと同じように、音はすぐに止み、静寂が部屋を包み込んだ。
何が起こったか、隆にはまったく理解ができなかった。
しかし、理解する以前に目の前で起こる得体の知れない現象に、隆は全身を震え上がらせた。
押入れの小さな隙間、廊下の角、風呂のカーテンの向こう。
そのすべてから何かが襲い掛かってくるようにも思えた。
「あっ、……あああ……」
隆は、頭の後ろに生まれるわずかな死角さえも恐れ、何度も何度も振り返った。
足は音を立てぬように床を這い、手は自分の居場所を広げるかのように伸びている。
彼の聴覚は驚くほど研ぎ澄まされており、少しの物音にさえも敏感に反応した。
それは自分の鼻息さえも、自分の心臓の鼓動さえも鬱陶しく感じるほどであった。
「来るなよッ……もう少し、あと、あと……」
玄関のドアを目の前にし、光を求めるかのように足取りが徐々に速くなっていく。
左足が壁を蹴っ飛ばし、靴下は床とこすれて熱くなったが、彼はそれを気にする暇もなかった。
やがて、震える手がドアノブを掴んだ。銀色ドアノブから冷たい感触が手に伝わってくる。
隆は掴んだドアノブを思い切りまわした。それも、壊れてしまってもしょうがないと思えるほど強く。
すると、意外にもドアノブは素直に回転した。いつも通り、平凡に。
ドアに向かって突進していた隆の体は、開いたドアの向こうの柵へと順調に近づいていった。
「ヒッ……」
悲鳴を上げる間もなかったかもしれない。
案の定、隆は頭をぶつけ出血し、次に胸をぶつけ骨を折り、床へと倒れて再び頭を打ちつけ、
二階の通路から落ちて下の道路に頭から落ちて脳が飛び出し、
偶然通りかかった車に引きずられて片足を失くし、標識にぶつかり内臓が飛び出し骨を折り、
道路の途中で振り落とされ、多くの車に踏まれ、ペシャンコになった。
それから毎年、その道路では、決まって同じアパートの住人が下半身が裸のまま
アパートのドアを勢いよく開けて出てきた直後に
通路の柵へと頭をぶつけ出血し、次に胸をぶつけ骨を折り、床へと倒れて再び頭を打ちつけ、
二階の通路から落ちて下の道路に頭から落ちて脳が飛び出し、
偶然通りかかった車に引きずられて片足を失くし、標識にぶつかり内臓が飛び出し骨を折り、
道路の途中で振り落とされ、多くの車に踏まれてペシャンコになるのだという。



部屋の隅で鈍い、何かが床に落ちたような音がした。
その音は、トイレで用を足していた隆の耳に入るほどだった。
あまりの大きすぎる音に、隆はそのままの姿で慌てふためきながら飛び出した。
「なんだぁ?」
部屋をのぞいては見たものの、先ほどの音が嘘だったかのように、部屋の中は静寂であった。
もちろん、そこには動くものなど、一つ見えない。
窓も開いていないし、ドアも開いていない。窓から入り込む赤い光さえもそのままであった。
その景色は、時計の針が少し進んだだけで、なんら変わってはいない。
何もないのかよ。隆は思った。いや、そう願っていた。
さっさと用を足してしまおう、振り向いて、再びトイレに入ろうとしたときだった。
ドン
さっきと同じ大きな音が、ちょうど斜め下のフローリングのほうから聞こえた。
そこは隆の視界に入っており、もちろん、何も異変は見えなかった。
そしてさっきと同じように、音はすぐに止み、静寂が部屋を包み込んだ。
何が起こったか、隆にはまったく理解ができなかった。
しかし、理解する以前に目の前で起こる得体の知れない現象に、隆は全身を震え上がらせた。
押入れの小さな隙間、廊下の角、風呂のカーテンの向こう。
そのすべてから何かが襲い掛かってくるようにも思えた。
「あっ、……あああ……」
隆は、頭の後ろに生まれるわずかな死角さえも恐れ、何度も何度も振り返った。
足は音を立てぬように床を這い、手は自分の居場所を広げるかのように伸びている。
彼の聴覚は驚くほど研ぎ澄まされており、少しの物音にさえも敏感に反応した。
それは自分の鼻息さえも、自分の心臓の鼓動さえも鬱陶しく感じるほどであった。
「来るなよッ……もう少し、あと、あと……」
玄関のドアを目の前にし、光を求めるかのように足取りが徐々に速くなっていく。
左足が壁を蹴っ飛ばし、靴下は床とこすれて熱くなったが、彼はそれを気にする暇もなかった。
やがて、震える手がドアノブを掴んだ。銀色ドアノブから冷たい感触が手に伝わってくる。
隆は掴んだドアノブを思い切りまわした。それも、壊れてしまってもしょうがないと思えるほど強く。
すると、意外にもドアノブは素直に回転した。いつも通り、平凡に。
ドアに向かって突進していた隆の体は、開いたドアの向こうの柵へと順調に近づいていった。
「ヒッ……」
悲鳴を上げる間もなかったかもしれない。
案の定、隆は頭をぶつけ出血し、次に胸をぶつけ骨を折り、床へと倒れて再び頭を打ちつけ、
二階の通路から落ちて下の道路に頭から落ちて脳が飛び出し、
偶然通りかかった車に引きずられて片足を失くし、標識にぶつかり内臓が飛び出し骨を折り、
道路の途中で振り落とされ、多くの車に踏まれ、ペシャンコになった。
それから毎年、その道路では、決まって同じアパートの住人が下半身が裸のまま
アパートのドアを勢いよく開けて出てきた直後に
通路の柵へと頭をぶつけ出血し、次に胸をぶつけ骨を折り、床へと倒れて再び頭を打ちつけ、
二階の通路から落ちて下の道路に頭から落ちて脳が飛び出し、
偶然通りかかった車に引きずられて片足を失くし、標識にぶつかり内臓が飛び出し骨を折り、
道路の途中で振り落とされ、多くの車に踏まれてペシャンコになるのだという。
本館

意地悪しないでクリックして
2008.10.27 ▲
今もにぎわい続ける街の片隅。古ぼけた木で出来た小屋。そこは雑貨屋。
小屋はまだ三時だというのに薄暗った。カーテンが閉まっているからだろう。
もとより人の寄り付かない場所に立っているこの雑貨屋は、
一日に何人人が来るかわからないほど廃れ、さびれていた。
東京内でも、ここだけはもはや別世界といっても過言ではない。
もとより、実家から東京への帰り道で見たこともないような
小屋を見つけたから立ち寄っただけなのだ。だから期待はしていなかった。
しかし、いざ扉をあけて店内に入ってみると意外にも店の雰囲気はそれらしかった。
そして商品はバリエーションに富んでいた。見たことのある雑貨屋の中で一番かもしれない。
どうやら雑貨屋と名乗るだけのことはある。俺は少し安心したような気分になった。
ひとまず店主を呼ぼうか、そう思い声を出してみると、暗く狭い物陰から
20代とも見て取れる坊主の男がジョリジョリとした頭を突き出してきた。
よく音もなく潜んでいたものだ。それで驚いているのもつかの間。
「どうかなさいましたか」
意外に高いハスキーな声を出す男にまたまた驚かされる。
そして慌てつつも冷静を装い、ふるまってみせる。透かされていたかもしれない。
「あ…あぁ。誰かいないものか、と思って」
「そうですか。それは失礼いたしましたね」
「この店はお一人で?」
「はい」
他愛のない会話を続けている間も、オレは絶え間なく辺りをなめるように見回していた。
改めて見たが、ものすごい数の商品だ。商品棚は小屋目いっぱいに設置されており、
商品もそれいっぱいに並べられてあるのだった。また、ほとんどが見たこともない怪しげなものだ。
いつの間にか会話が終わっており、気まずい空気が流れていた。
ひとまず、差し支えのない、機嫌を損ねないようなことをいってみる。
「すごい数ですね」
「これしか仕事がないもので」
「しかし、これほどの店がこんなところにあるとは」
「いえ、あなたのようなお客様をまっているのですよ」
そう言うと坊主の男はくるりと背を向けて店の更に奥のほうへオレを案内した。
今オレの心には「何があるんだろう」という興奮と不安が入り混じって渦巻いている。
途中、床が軋んだり店全体が揺れたりしたが、それがまたいい雰囲気だった。
こんなに長かっただろうか、と思うほど小屋の内部は入り組んおり、坊主の男は
その迷路の中でスラスラと歩いているかと思うと立ち止まり、また歩き出す。
それを三回ほど繰り返したときだった。
「あったあった」
坊主の男は店内でもかなり埃臭い所で立ち止まり、赤い球体を手にとって差し出した。
「なんですか、これ」
「まぁ見ててください」
オレは坊主の男の言うとおり黙ってみていた。
坊主の男は自慢デモするかのようにチラチラこちらの様子を伺ってくる。
いったい何をする気なんだろう、こいつは。しかしそれはまったくわからない。
しばらくすると、彼が手に取っている赤い球体は音を立てて膨張し始めた。
ブクブクと膨れ上がるにつれて、それの正体が徐々にあらわになった
太目の足、厚い胸板、無精髭、濃い眉毛…
順々と完成していくどこを見てもどこをとってもその姿は正真正銘の自分だった。
あるはずのない光景が目の前にある。たちまち俺はしりもちをついてしまった。
「い…いったい、そ、それは…」
あっけにとられて動けなくなった僕に、坊主の男は変なものを見るような目で見下していた。
「どうなさったのです?」
その口元がニヤリとひん曲がったのを俺は見逃さなかった。
怪しいと思ったんだ!こんなところ来るべきじゃなかった!逃げろ!
自分の中で、そんな風な警鐘がいつしか打ち鳴らされていた。
すばやく立ち上がると、さっき通ってきた道筋を必死で思い出しながら出口へと急いだ。
「お待ちなさい」
耳障りな坊主の男の声がすぐ真後ろからしたが、振り向くことはしなかった。
そんな悠長なことをしていたらいつ追いつかれるのか分からなかったからだ。
そのとたん、痛みが走ったのが分かった。坊主の男がなにかを投げたらしい。
よく見ると、ほかにもセトモノやガラスの破片や床の木があらゆるところに刺さっていた。
みしみしと軋む床を壊し、棚の上の商品を落としながら、俺は走っていたのだ。
いや、強いて言えばわざと壊したり落としたりしていたかもしれない。
恐怖を味あわせられた屈辱の腹いせだったかもしれない。
走りながらもそんなことを考えていたということは、まだどこかでさっき見た自分を
信じず、記憶の中から抹消しようという考えがあったからだろう。
やがてあの耳障りだった声も消えた。そして光が漏れているのがかすかだが見えた。
開くか…開かないか…開かなかったらどうするか…
最悪の事態を想像し、脳内で再生する。多分、俺はここにいたら絶対に殺される。
しかし意外にも扉はすんなりと開いた。かえって拍子抜けしたぐらいだ。
外の景色もさっきと少ししか変わっていなかった。だが平和ではなかった。
俺の愛車に乗っていたのは、まぎれもない俺だったのだ。
気付くと俺はいつの間にかあの小屋の棚に居た。
どうやら俺はあの後気絶して記憶がぶっとんでいるらしかった。
どうしてここの小屋に居るのかと考えた結果、あの坊主の男に捕らえられた、という結論が出た。
でもどうして棚の上に自分が居るのかは見当もつかない。
ロープなどで縛られているという感覚はない。なぜかはわからない。
しばらく考えた。そしてある重大なことに俺は気付いた。
手足の感覚がない!それに景色が赤い!



小屋はまだ三時だというのに薄暗った。カーテンが閉まっているからだろう。
もとより人の寄り付かない場所に立っているこの雑貨屋は、
一日に何人人が来るかわからないほど廃れ、さびれていた。
東京内でも、ここだけはもはや別世界といっても過言ではない。
もとより、実家から東京への帰り道で見たこともないような
小屋を見つけたから立ち寄っただけなのだ。だから期待はしていなかった。
しかし、いざ扉をあけて店内に入ってみると意外にも店の雰囲気はそれらしかった。
そして商品はバリエーションに富んでいた。見たことのある雑貨屋の中で一番かもしれない。
どうやら雑貨屋と名乗るだけのことはある。俺は少し安心したような気分になった。
ひとまず店主を呼ぼうか、そう思い声を出してみると、暗く狭い物陰から
20代とも見て取れる坊主の男がジョリジョリとした頭を突き出してきた。
よく音もなく潜んでいたものだ。それで驚いているのもつかの間。
「どうかなさいましたか」
意外に高いハスキーな声を出す男にまたまた驚かされる。
そして慌てつつも冷静を装い、ふるまってみせる。透かされていたかもしれない。
「あ…あぁ。誰かいないものか、と思って」
「そうですか。それは失礼いたしましたね」
「この店はお一人で?」
「はい」
他愛のない会話を続けている間も、オレは絶え間なく辺りをなめるように見回していた。
改めて見たが、ものすごい数の商品だ。商品棚は小屋目いっぱいに設置されており、
商品もそれいっぱいに並べられてあるのだった。また、ほとんどが見たこともない怪しげなものだ。
いつの間にか会話が終わっており、気まずい空気が流れていた。
ひとまず、差し支えのない、機嫌を損ねないようなことをいってみる。
「すごい数ですね」
「これしか仕事がないもので」
「しかし、これほどの店がこんなところにあるとは」
「いえ、あなたのようなお客様をまっているのですよ」
そう言うと坊主の男はくるりと背を向けて店の更に奥のほうへオレを案内した。
今オレの心には「何があるんだろう」という興奮と不安が入り混じって渦巻いている。
途中、床が軋んだり店全体が揺れたりしたが、それがまたいい雰囲気だった。
こんなに長かっただろうか、と思うほど小屋の内部は入り組んおり、坊主の男は
その迷路の中でスラスラと歩いているかと思うと立ち止まり、また歩き出す。
それを三回ほど繰り返したときだった。
「あったあった」
坊主の男は店内でもかなり埃臭い所で立ち止まり、赤い球体を手にとって差し出した。
「なんですか、これ」
「まぁ見ててください」
オレは坊主の男の言うとおり黙ってみていた。
坊主の男は自慢デモするかのようにチラチラこちらの様子を伺ってくる。
いったい何をする気なんだろう、こいつは。しかしそれはまったくわからない。
しばらくすると、彼が手に取っている赤い球体は音を立てて膨張し始めた。
ブクブクと膨れ上がるにつれて、それの正体が徐々にあらわになった
太目の足、厚い胸板、無精髭、濃い眉毛…
順々と完成していくどこを見てもどこをとってもその姿は正真正銘の自分だった。
あるはずのない光景が目の前にある。たちまち俺はしりもちをついてしまった。
「い…いったい、そ、それは…」
あっけにとられて動けなくなった僕に、坊主の男は変なものを見るような目で見下していた。
「どうなさったのです?」
その口元がニヤリとひん曲がったのを俺は見逃さなかった。
怪しいと思ったんだ!こんなところ来るべきじゃなかった!逃げろ!
自分の中で、そんな風な警鐘がいつしか打ち鳴らされていた。
すばやく立ち上がると、さっき通ってきた道筋を必死で思い出しながら出口へと急いだ。
「お待ちなさい」
耳障りな坊主の男の声がすぐ真後ろからしたが、振り向くことはしなかった。
そんな悠長なことをしていたらいつ追いつかれるのか分からなかったからだ。
そのとたん、痛みが走ったのが分かった。坊主の男がなにかを投げたらしい。
よく見ると、ほかにもセトモノやガラスの破片や床の木があらゆるところに刺さっていた。
みしみしと軋む床を壊し、棚の上の商品を落としながら、俺は走っていたのだ。
いや、強いて言えばわざと壊したり落としたりしていたかもしれない。
恐怖を味あわせられた屈辱の腹いせだったかもしれない。
走りながらもそんなことを考えていたということは、まだどこかでさっき見た自分を
信じず、記憶の中から抹消しようという考えがあったからだろう。
やがてあの耳障りだった声も消えた。そして光が漏れているのがかすかだが見えた。
開くか…開かないか…開かなかったらどうするか…
最悪の事態を想像し、脳内で再生する。多分、俺はここにいたら絶対に殺される。
しかし意外にも扉はすんなりと開いた。かえって拍子抜けしたぐらいだ。
外の景色もさっきと少ししか変わっていなかった。だが平和ではなかった。
俺の愛車に乗っていたのは、まぎれもない俺だったのだ。
気付くと俺はいつの間にかあの小屋の棚に居た。
どうやら俺はあの後気絶して記憶がぶっとんでいるらしかった。
どうしてここの小屋に居るのかと考えた結果、あの坊主の男に捕らえられた、という結論が出た。
でもどうして棚の上に自分が居るのかは見当もつかない。
ロープなどで縛られているという感覚はない。なぜかはわからない。
しばらく考えた。そしてある重大なことに俺は気付いた。
手足の感覚がない!それに景色が赤い!
ゆりかごLIFE
↓本館へ↓

↓クリックお願いします↓
2008.09.08 ▲
今日は会社員二週目。しかしまだ緊張しているせいか、妙に疲れる気がする。
大学に行かず、毎日をグータラと過ごしていた自分にこんな転機が訪れるとは
俺自身も思っていなかった。もちろん、望んではいたが。
二週間目の新人が言う言葉でもないだろうが、なんとなくここは安定している気がする。
そしていま、その安定していると思われる会社に着き、車の鍵を閉めたところである。
この街でもかなり目立つ白い建物が職場だ。この三階にはまだ新しいデスクがある。
見慣れてしまった建物の裏側の薄暗い入り口を声をかけながらくぐる。
その先にはジメジメとした、それでいて居心地のいい空間が広がっていた。
階段専用のスペースをよくも取ったものだ。見上げると終わりの見えそうにない
螺旋階段が上へ上へと背を伸ばしていた。いつも思うが、かなり長い。
間に合うだろうか。時刻を見ようと腕時計を見る。あと十分。まだ大丈夫。
そのとき気付いたのだが、後ろの照明から光が入ってきていない。
オレと天井の照明の間に覆いかぶさるようにして何かがいるらしい。
緊張しながらも振り返った視線の先にあったのは青白い顔だけの男。
げっそりとやせ細った頬からは生気はまったく感じられなかった。
顔がややこちら側に近づいてきたかと思っていると、そいつは
成人男性が背伸びしたぐらいの高さから、手をオレの肩にかけて来た。
なんともない。ただ冷たいだけだった。用もなくちょっかいをかけて来たそいつの目を目掛けて
人差し指と中指を両方に突っ込んだ。その瞬間、白い靄が漂ったと思うと、
四方八方へとそいつの姿は消え去っていた。その瞬間、ようやくオレは事態を把握した。
これが俗に言う幽霊というものなのか。少し驚いた自分が恥ずかしい。
気付くと残った時間は七分。こんなところで暇をつぶしている場合じゃない。
ついでに足についていた子供の顔を蹴り飛ばすと、階段を踏んだ。
その途中、今日はほかにも何か特別なことがありそうだな、とわけもなく思った。
「おはようございます」
これを言うのは13回目になっていた。
「おはよう」
「うぃーす」
さまざまな返事が返ってくる。これだ。これが理想の職場だ。
白く室内をくまなく照らす蛍光灯と、規則正しく並べられた四角い机。
その机の窓側の一番奥の席にたいして何も入っていないカバンを重たそうに置いて、
課長のデスク側の壁のカードにチェックを入れた。
「今日はいつもより…二週間のうちで一番来るのが遅かったな」
課長は怒ると怖いらしいが、その顔とは裏腹に普段はやさしい良き上司だという。
それは今までの日々で十分理解したことだった。
そして禿げ上がった頭は、今まで数々の苦労を体験したことを物語っている。
「はい、いろいろとあったもので」
「そうか、それでは今日も頼むぞ」
「はい」
席について一時間、経ったか経たないかしないうちに異変は起きた。
なぜか体全体が地面に引っ張られているような感覚があった。
何かあるとは思っていたが、こんな間接的に妨害してくるとは思わなかった。
実体が出てきたら殴ろうと思ったが、案の定学習しているようだ。
異変は徐々に悪化し、ついには金縛りに近いような、身動きひとつ取れないような
状態になっていった。もはやこうなった時点で解決策などない。
ほかの社員全員がパソコンに向かっている今、微動だにしないオレに気付くはずはない。
やっとこさ捻りだした声も、やはり聞こえない。
これでは仕事も糞もない。今動いているのは、臓器と脳だけ。
その脳の中で今朝の出勤時の場面がリプレイされていた。
ドアを開ける。閉める。中に入る。時計を見る。後ろに誰か居ることに気付く。振り向く…
そのときだった。金縛りもどきが何の前兆もなくいきなり解けた。
「!?」
反動で体が前のめる。必死でそれをこらえると、デスクにいつも映るはずの照明がない!
今朝と同じか!ちくしょうこいつは…
「うぐぉ」
肘うちは見事、覆いかぶさっているものの股間部に命中した。手ごたえ…あり。
だが朝のやつは顔だけだったはずだ。もしや違うやつか?
確認のため、ゆっくりと振り返ってみるが、そこには何の姿もない。
オレの心は安堵に包まれた。まったく邪魔な奴らだった。
「ざまあ――」
ざまあみろ、と言いかけた瞬間、景色がグラついた。とともに何かが崩れる音がした。
ほんの一瞬の間に全員の注目はこちらへと向けられていた。
どうやらデスクの上の資料やパソコン、コーヒーが落ちたようだ。
確かに、太ももの辺りが異常にジワジワと熱かった。
だが、そんなこと気にかけている余裕はない。はやく奴を成仏させねば。
やっとこさ首を曲げて見上げると、天井の照明と、うつろな照明とが二つ光っていた。
「照明が…二つ?」
そこにあったのは、はげ頭。オレが照明だと思ったのは、反射した光だった。
部屋の隅では今朝のあいつが白く醜い顔を引きつらせて、こっちをじっと見ていた。
その後、課長から罵声やら拳やらがいろいろと飛んできて……
……
パソコンを立ち上げる。起動音が低く響く。
スタートアップのブラウザの遅さに苛立ちつつもじっと待つ。
その間に何度も何度も肩を叩かれ頭を叩かれ背中を叩かれる。
しかし、もう既に慣れていた。いや、慣れては居ないが気にする必要はなくなった。
もうここは会社のデスクではないからだ。
あの後、なんとか逃れようとした言い訳が仇をなした。課長の怒りを更に燃え上がらせたのだ。
案の定、オレもイライラしていた。その後はもうわかるだろう。
「会社を辞めさせられた、いや辞めた」
そう母と父に言った。母はショックで茶碗としゃもじを落としたまま固まっていた。
父はただ呆然とこちらを見ていた。そして今に至った。二人は今…いや考えたくもない。
課長は悪くない、オレも悪くない。わるいのはアイツだ。あの朝の復讐に対する復讐を受けたのだ。
今もあいつは部屋の隅でヘラヘラしているかもしれない。
「バカな奴だ」
「これでお前の一生は終わりだ」
とでも言うように。



大学に行かず、毎日をグータラと過ごしていた自分にこんな転機が訪れるとは
俺自身も思っていなかった。もちろん、望んではいたが。
二週間目の新人が言う言葉でもないだろうが、なんとなくここは安定している気がする。
そしていま、その安定していると思われる会社に着き、車の鍵を閉めたところである。
この街でもかなり目立つ白い建物が職場だ。この三階にはまだ新しいデスクがある。
見慣れてしまった建物の裏側の薄暗い入り口を声をかけながらくぐる。
その先にはジメジメとした、それでいて居心地のいい空間が広がっていた。
階段専用のスペースをよくも取ったものだ。見上げると終わりの見えそうにない
螺旋階段が上へ上へと背を伸ばしていた。いつも思うが、かなり長い。
間に合うだろうか。時刻を見ようと腕時計を見る。あと十分。まだ大丈夫。
そのとき気付いたのだが、後ろの照明から光が入ってきていない。
オレと天井の照明の間に覆いかぶさるようにして何かがいるらしい。
緊張しながらも振り返った視線の先にあったのは青白い顔だけの男。
げっそりとやせ細った頬からは生気はまったく感じられなかった。
顔がややこちら側に近づいてきたかと思っていると、そいつは
成人男性が背伸びしたぐらいの高さから、手をオレの肩にかけて来た。
なんともない。ただ冷たいだけだった。用もなくちょっかいをかけて来たそいつの目を目掛けて
人差し指と中指を両方に突っ込んだ。その瞬間、白い靄が漂ったと思うと、
四方八方へとそいつの姿は消え去っていた。その瞬間、ようやくオレは事態を把握した。
これが俗に言う幽霊というものなのか。少し驚いた自分が恥ずかしい。
気付くと残った時間は七分。こんなところで暇をつぶしている場合じゃない。
ついでに足についていた子供の顔を蹴り飛ばすと、階段を踏んだ。
その途中、今日はほかにも何か特別なことがありそうだな、とわけもなく思った。
「おはようございます」
これを言うのは13回目になっていた。
「おはよう」
「うぃーす」
さまざまな返事が返ってくる。これだ。これが理想の職場だ。
白く室内をくまなく照らす蛍光灯と、規則正しく並べられた四角い机。
その机の窓側の一番奥の席にたいして何も入っていないカバンを重たそうに置いて、
課長のデスク側の壁のカードにチェックを入れた。
「今日はいつもより…二週間のうちで一番来るのが遅かったな」
課長は怒ると怖いらしいが、その顔とは裏腹に普段はやさしい良き上司だという。
それは今までの日々で十分理解したことだった。
そして禿げ上がった頭は、今まで数々の苦労を体験したことを物語っている。
「はい、いろいろとあったもので」
「そうか、それでは今日も頼むぞ」
「はい」
席について一時間、経ったか経たないかしないうちに異変は起きた。
なぜか体全体が地面に引っ張られているような感覚があった。
何かあるとは思っていたが、こんな間接的に妨害してくるとは思わなかった。
実体が出てきたら殴ろうと思ったが、案の定学習しているようだ。
異変は徐々に悪化し、ついには金縛りに近いような、身動きひとつ取れないような
状態になっていった。もはやこうなった時点で解決策などない。
ほかの社員全員がパソコンに向かっている今、微動だにしないオレに気付くはずはない。
やっとこさ捻りだした声も、やはり聞こえない。
これでは仕事も糞もない。今動いているのは、臓器と脳だけ。
その脳の中で今朝の出勤時の場面がリプレイされていた。
ドアを開ける。閉める。中に入る。時計を見る。後ろに誰か居ることに気付く。振り向く…
そのときだった。金縛りもどきが何の前兆もなくいきなり解けた。
「!?」
反動で体が前のめる。必死でそれをこらえると、デスクにいつも映るはずの照明がない!
今朝と同じか!ちくしょうこいつは…
「うぐぉ」
肘うちは見事、覆いかぶさっているものの股間部に命中した。手ごたえ…あり。
だが朝のやつは顔だけだったはずだ。もしや違うやつか?
確認のため、ゆっくりと振り返ってみるが、そこには何の姿もない。
オレの心は安堵に包まれた。まったく邪魔な奴らだった。
「ざまあ――」
ざまあみろ、と言いかけた瞬間、景色がグラついた。とともに何かが崩れる音がした。
ほんの一瞬の間に全員の注目はこちらへと向けられていた。
どうやらデスクの上の資料やパソコン、コーヒーが落ちたようだ。
確かに、太ももの辺りが異常にジワジワと熱かった。
だが、そんなこと気にかけている余裕はない。はやく奴を成仏させねば。
やっとこさ首を曲げて見上げると、天井の照明と、うつろな照明とが二つ光っていた。
「照明が…二つ?」
そこにあったのは、はげ頭。オレが照明だと思ったのは、反射した光だった。
部屋の隅では今朝のあいつが白く醜い顔を引きつらせて、こっちをじっと見ていた。
その後、課長から罵声やら拳やらがいろいろと飛んできて……
……
パソコンを立ち上げる。起動音が低く響く。
スタートアップのブラウザの遅さに苛立ちつつもじっと待つ。
その間に何度も何度も肩を叩かれ頭を叩かれ背中を叩かれる。
しかし、もう既に慣れていた。いや、慣れては居ないが気にする必要はなくなった。
もうここは会社のデスクではないからだ。
あの後、なんとか逃れようとした言い訳が仇をなした。課長の怒りを更に燃え上がらせたのだ。
案の定、オレもイライラしていた。その後はもうわかるだろう。
「会社を辞めさせられた、いや辞めた」
そう母と父に言った。母はショックで茶碗としゃもじを落としたまま固まっていた。
父はただ呆然とこちらを見ていた。そして今に至った。二人は今…いや考えたくもない。
課長は悪くない、オレも悪くない。わるいのはアイツだ。あの朝の復讐に対する復讐を受けたのだ。
今もあいつは部屋の隅でヘラヘラしているかもしれない。
「バカな奴だ」
「これでお前の一生は終わりだ」
とでも言うように。
ゆりかごLIFE
↓本館へ↓

↓クリックお願いします↓
2008.09.07 ▲
| Home |
